2004 名場面集 

明日は我が身

  


 今春、とある源流域を目指し独り荒廃した林道を歩いていた。
雪あり、ガレあり、流れありと雪解け時期のルートは変化に富んでいて先へと進むにつれ踏み跡は少なくなり、やがて無くなる。 朝、私は崩れた廃林道のガレを下へと低く巻き返して岩を越えた眼前。黒い塊がムクリと動いた。
 ハッ、と一瞬身が固まったが、よく見るとカモシカが倒れていた。あまりに近距離での遭遇だったので少し距離をおいて回りこむようにして観察すると、私の存在に気付いてはいるようだが起き上がれず、横に倒れたまま呼吸にあわせて腹が動いていた。
 私は頭上のガレに注意を払いながらも近づいていきカモシカの表情を窺う。眼のあたりを打ち付けたのか血が滲んでいて一見眼球がどの位置にあるのか判り難かったが、その瞳はすでに生気を失いかけていた。
靴のつま先で奴の脚を突いてみたが反応は無く、どうにかしてやりたいが何をしたら良いのか分からない。 持っていたポカリスエットを半開きになった奴の口元へと流してやると一瞬舌を動かしたようにも見えたが、その後は喉を通ることはなく反対側から流れ出ているようであった。
 
 
 源流からの帰路は行きと同じルートを戻る。朝の奴はどうしているだろうか...独り歩きは物思いに耽るに丁度良い。 奴は肉食動物に傷付けられる事もなくそのままの姿で横たわっていた。 近づいていくと驚いたのかピクッとしたが、その後は全く動かなくなってしまった。ただ呼吸によって微かに動く腹だけがまだ生きている事を示していた。 私は以前に会った釣人の話を思い出し、コイツを抱き上げて無理矢理に立たせてみたものの脚に力なく、ドサリと裏返しに反対側へと倒れてしまった。反対側の左目も同様にもうろうとして濁り、奴はもう生き物から物へなろうとしている。 状況は全く変わりなく、ただ悪戯に自分の手を毛だらけにしただけであった。 行きと同じように残りのポカリスエットを奴の力ない口に注ぎ、流れ出てガレ石の間から地面へと染み入るのを見てその場を後にした。


  


 
HOME  MENU